留学から日本の大学に合格した一年【日本一変な浪人生】

2019年4月8日

昨年、2018年には世にも奇妙な「仮面留学浪人」?をしました。こんな人滅多にいないと思うので、どういう経緯でそうなったのか。また、こんな道もあるよという知見を紹介します。

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先日、無事に日本の志望大学に進学したので、今回はそれまで自分が経験したことを時系列順にまとめてみようと思います!

2017年12月

高校三年生、バリバリの現役生。進学校に在籍していたので周りは人生をかけて必死に勉強していた。そんな中で自分は無気力に毎日を過ごしていた。

周りとの温度差により塾にいることが辛くなり、放課後は本屋に逃げることが多くなる。

この時期に今後を変える様々な本に出会うことになる。どの本が自分に影響を与えたのかはこの記事では省略するが、これらの本を読んでいくうちにもっと挑戦的な人生を歩み、今の状況を打開したいと思うようになる。

そのための一つの手段が留学だった。

2018年1月

年が明けて、遂に留学に向けて動き出す。

まずは親の説得だ。何か大きな一手を打たないと、今の状況からは抜け出せないと半ば脅しのような説得をした。

とりあえず情報を集めてみようと資料を集めたり、色んなエージェントに会いにいった。

話を聞くうちに少しだけ希望が見えてきた。このまま無気力に毎日を過ごしていても埒が明かないということで、留学を本気で考えるようになっていた。

留学先で失敗して日本に逃げ帰るかもしれない。こんだけお金と時間をかけて、ただの高卒になるかもしれない。そもそも留学できるだけの英語力を身につけられないかもしれない。

それでも、ここで覚悟を決めた。

2018年2月

留学には当たり前だが英語の能力が必要だ。TOEFL iBTという留学に必要な英語力を証明するテストがある。海外のスタンダードな9月入学に間にあわせる為に5月の初めくらいには、このテストの必要スコアを満たす必要があった。

ここから徐々にだが勉強を始めた。TOEFL iBTのスコアを取るための専用の塾みたいな所に入った。

目標スコアは61以上とした。勉強を始めたばかりの時の模試のスコアは30いくつだった。ここから約3ヶ月で61点を目指すことになった。

これがこの進路において、第一の関門だった。

2018年3, 4月

塾にも慣れてきて、比較的楽しく通っていた。社会人から海外を転々としているバックグラウンドが豊かな子まで色んな人と出会った。留学って道を選ぶと面白い人に出会えるということに気付き始めていた。先生は日本が大好きなアメリカ人で、とてもいい人だった。彼が初めてまともにコミュニケーションをとった外国人となった。

スコアの方は劇的ではないが、順調に伸びていっていた。それでも全く安心できない状況ではあった。9月入学を逃すと、さらに費用と時間がかかることになるからだ。

2018年5月

運命のテストの日がやってきた。

71と言っているのは、100点目指せば90点取れるみたいな理屈が自分の中にあるからだ。

この頃には今のベストを尽くせれば結果がどうなっても良いという考え方ができるようになっていたので、結構気楽に本番に臨めた。

結果は…

ギリギリの61で第一関門突破した。模試ではもう少し良い点を取っていたので、とてもヒヤヒヤしたのを覚えている。

この時、やっと一歩進んだという感覚になった。久しぶりの成功体験ができたので非常に嬉しかった。

2018年6月

9月のアメリカ留学まで時間がある。英語をもう少し伸ばしておきたい。というわけで、フィリピン語学留学を計画し始める。

フィリピンは往復3万円で行けて、いろいろ安い。

ちなみにこの時期にせっかく留学するのだからブログに残そうということで、このブログを始めた。

2月からTOEFL対策の為にお世話になっていた塾をやめた。この時はけっこう寂しかった。

2018年7, 8月

フィリピンへ飛び立つ。実はこれが自分の海外初体験。不安とワクワクでいっぱいだった。

(フィリピンでの様子はたくさんこのブログ内の記事でまとめているので、読んでみてください。)

食中毒で一週間入院したり、スラム街を見たり、現地で仲間を作ったりといろいろあった。

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大変なこともあったけど、フィリピン語学留学は非常に楽しかった。初めてのことばかりで、大きく成長できた。

2018年9, 10月

遂にアメリカに飛び立つ時がやってきた。成田空港で「だるま」を一つ買って、飛行機に乗った。

アメリカではフィリピンとは別の大変な日々が続いた。

毎日宿題に追われ、評価してもらえないこともあった。ほぼ一人暮らしをしていたので、料理や家事も大変だった。そんな中でも毎日精進して、次第に慣れていった。友達もできて、シアトルに遊びにいったりもした。

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2018年11月

この頃には無気力な自分から完全に脱し、毎日精力的に活動していた。ここで自分の中に密かにあった思いが復活してくる。

慶應sfcに行きたいという思いだ。前からこの学部のことは知っていてずっと憧れていた。そもそもこの学部の理念と似た大学が日本には少ないという理由で海外にいったところもあった。

ツイッターでも意味深なことを言っている。この時から休学、一時帰国して受験しようかどうか大きな迷いが出ていた。

迷いに迷い決断した。もし受けるだけ受けて、落ちたらアメリカでの卒業が遅れ履修計画が乱れるリスクも大いにあった。志望大学の倍率は約10倍。過去問をやってみるも合格最低点までは遠かった。したがって、合格する可能性は非常に低かった。

それでも受験を決意した。

成田空港で買った「だるま」に左目を入れた。このダルマは願い事が叶った時に右目も入れるというものだ。

2018年12, 2019年1月

学期末の鬼のような量の課題とテストを終わらせ帰国準備に入った。

帰国して数日後、留学して初めての学期の成績が出た。

自分的には良い成績を残せたので、心置きなく受験勉強に入れた。

近くの図書館に通う毎日が続いた。勉強すればするほど力がついたので、比較的楽しく受験勉強をしていた。

受験勉強中にやったことはこの記事でまとめた。

2019年2月

いよいよ受験本番。もう本番前は余裕が一切なかったので、ツイートが残っていない。受験勉強が終わりに近づき少し寂しく感じていたのを覚えている。

こちら入試後のツイート。入試が終わり、少しの手応えと大きな不安を抱えていた。

2019年3月

入試結果が出た。

合格した。左目だけだった「だるま」に右目も入れた。

この瞬間、全てが繋がった感覚があった。

最後に

自分の去年、2018年度を簡単にまとめてみました。長い一年でした。精神的に不安定な時期も多く、毎日必死に過ごしていました。

もう一度この一年を過ごしたかと言われたら、Noと答えます。この一年があったから子供の頃に戻りたいか?という系の質問も答えは全てNoになります。子供の頃に戻るともう一度あの一年を過ごすことになるからです。それぐらい大変でした。

しかし、それでもこの一年は非常に意義あるものでした。勉強できない。気力0。そんなどん底から這い上がれました。

いろんな人に出会って別れました。初めての経験をいっぱいして大きく成長しました。

2018年の1月、勇気を出して動けてよかったです。

自分の最も好きな漫画に「JoJoの奇妙な冒険」というものがあります。この漫画には多くの名言があるのですが、自分が好きなものの一つにこれがあります。

「覚悟」とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開く事だッ!

覚悟ある自分の決断は、必ず自分が納得できる道に向かわせてくれます。

自分はこの留学を通して「覚悟」の大切さを学んだ気がします。

これからもこの一年の素晴らしい経験をいかして、覚悟ある人生を送りたいと思います。

本当に最後ですが…

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自分に関わってくれた全ての皆さま、本当にありがとうございました!!これからも応援よろしくお願いします!